5月30日
この日は果樹園へ行きましたが、いつものリンゴ園地ではなく村山市のさくらんぼ園地へ。
そのついでに、水稲の苗箱を返却しにも行きました。何事も無駄なく効率よく動く事が大切。だから『ついでに』返却。何かと要領の悪い者が多いのが、こうした自立支援現場での現実。こんなこと一つでも、話を聞いて目で見て実際に動いてみる事で、少しでもその要領を汲み取ってくれたら、それだけでも随分と人は変わるんですけどね~。まぁそもそも時間的にも仕事量的にもその必要性に迫られていないから『効率よく、要領良く』なんていう意識自体が皆無なんですけど・・・。
人は追い込まれる事で、その打開策や解決策を考え知恵を働かせるようになるのです。のほほ~ん!とした仕事場で生きている人は、やはり人格ものほほ~んとしかなり得ません。どの職種とは言いませんが・・・。営業でありとあらゆる業種や職種の現場を見てきましたけどね~、ヌルイ仕事で生きている人は概ね人間としてもヌルイです、そして勘違い人間が多い。
それは大人も子供も同じ。むしろ成長段階にある子供の方がその影響を極めて大きく受けるもの。追い込まれもせず、鍛えられもせずに大事な10代を過ごしてしまえば、その先にどのような人生が待ち受けているかは容易に想像がつくものです。つまづくのは当たり前の話です。
10代だけではなく、少なくとも20代までは、出来る限り過酷で厳しい環境の中で鍛えられた方が良いです、身体的にも、精神的にも。妥協や逃避を許さない環境、やっぱりスポーツですかねぇ、体育会系。そんな環境を耐え抜き乗り越えてきた者が、その後に鬱やら統失やらで崩れていく話はあまり聞いた事ないです。例外はあれども、私の人脈の範囲を全て思い返してみても、その考え方はほぼ間違っていない傾向であると確信が持てます。
人は進化の過程で、その個体が置かれた環境に適応する事で生き抜いてきたとされています。それは人だけでなく、生物全般に言える事。コレは世代をいくつも跨いでの進化の話ですが、一つの世代限定で考えても同じ理論は当てはまるはずです。
もって生まれた器質的な特徴や強い個性の差異はもちろんありますが、人はその人が置かれた環境なりにしか育たないのです。環境とは水や空気の事ではありません。ココでは概ねその人の周囲にある人間関係です、家族を筆頭に。
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