蔵王いこいの里

日本人としての誇り


4月11日の作業の様子、後手後手で申し訳ありません・・・。



駐車場の道路際に毎年設置している、単管で組み立てる簡単な売店を設置している所と、
薪ストーブの燃料としてあちこちから頂戴した廃材をキレイに整理してまとめたり片付けたりしている所です。

まだまだ雪が残っていましたね。それでも例年と比べれば全く話にならない量ですが・・・。

農作業が本格的に始まる前の、冬から春に切り替わる時期にこなさなければならないたくさんの作業のうちの一つです。

とにかくココは、年中やるべき事が山積み・・・。
『やる事がね~』なんていう時期はココには存在しません。
従って『引きこもって何して良いんだかわからね~』とか、
毎日パソコンやスマホなどどっちでもイイ事ばかりやって時間を潰しているような、無駄に時間を浪費する暇など微塵もないのです。

『働かざる者食うべからず』
昔から当たり前に言い伝えられてきた事ですけど、ここではそんな事を意識せずとも、必然的にそのような環境が存在している訳ですね~。寮生達自身がそういう意識や雰囲気を作りだし、その中で一緒に生活していると、それが当たり前だと考えられるようになるんですね~。まぁ人として最低限の羞恥心を失っていなければですけど・・・。

30代、まして40代と、籠っている年月が長くなればなるほど、その『羞恥心』が徐々に失われていってしまうんです。もう人生を諦めるようになってしまうんでしょうかね~。中にはもう20代前半でその領域に到達するツワモノもいますけど、それはやはり小学生や中学生の時から既に長いこと不登校だったとか、色々と年齢相応に身に付けているべきモノが身に付いていないというケースが多いですね。

身体的にも能力的にも、本来なら勉強して努力して我慢して働こうと思えば働けるのに、そのうち『生活保護でも貰いながら生きられればいいや』というふざけた思考が当然の事であるかの様になってしまうんですね~。もはや人としての尊厳や意地やプライドなどどうでも良くなってしまうのでしょう。

もちろん生活保護を本当に必要としている人達が世の中にたくさん存在している事はわかっていますけどね、でも本来全くそこには該当する理由のない人達が、長期化した引きこもりやニート達の中から毎年一定数輩出されているという現実、鬱や精神疾患を装いとにかく食い繋ぐための手段として生保や障害者給付金を認定してもらおうとすることに心血を注ぐ人達がこの日本に何万人といるんです。そしてそれを推奨し、まるで斡旋しているかのような団体も存在しています。
こんな考え方や生き方、私は人として道義的に許される事ではないと思うんですが、皆さんどう思われますか???

そして自分の子供や孫や親戚が、将来そのような生き方をする姿を見たいと思いますか?ひきこもりやニートが長期化しその状況が改善できなければ必ずそうなってしまうとは言いませんけどね・・・、でもよくよく今の現実と将来の展望を直視してみると、絶対にそんな状況には陥らないと言い切れる人、70万とも100万とも言われている彼らの中でどれほど存在しているのでしょうか。


世間に後ろめたさを感じながら生きる事も辛い生き方だと思いますけど(それがあればまだマシ、真っ当な人の心を失ってはいない!)、中にはそれすらも感じずに何の恥じらいもなく平然と社会にぶら下がる生き方をする人達がいる・・・。

日本人って古来よりそんなに恥ずかしい生き方の出来る民族だったのでしょうか???
これも戦後の誤った捏造歴史教育の一つの大きな成果ではないでしょうか。

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