蔵王いこいの里

\ 身内だけで悩まず、まず相談を /

ウド採りトレッキング その2

ご無沙汰です。
ウドの続きです。


昼食後にも別の場所へ小一時間ほど採りに行き、そこでは午前中あまり芳しくなかった寮生も結構な量を確保し見事に汚名返上達成、今回はほぼ全員頑張って十分な成果をもって帰路に着く事が出来ました。


たっぷりのウドを背負いながらの帰路、堰堤の鉄梯子で降りる際も細心の注意を払いながら降ります。
随分と元気が有り余ってる寮生もいるようですね~・・・。


背中と腰袋、両方満タン。結構な重量ありますよ!


なんだかんだ言って若者は体力的に余裕がありますね。
若いうちは・・・ね。


スッ転んでウドを潰さないように~。


再び川にかかる雪渓の上を渡って


さあここからが『地獄の笹藪登り』。
荷物背負ってのココの登りが一番キツイんですね~。


あまりにキツ過ぎて、いつも写真を撮り忘れるんです。。。
これが最後。


行ってきたのは正面の山の付け根、沢の源流部分です。結構な距離あります。
帰路出発してからここまで1時間以上かかります。
ここから先はもう楽勝、40分ほどトレッキングコースを下るだけです。


最後にこの最高の見晴らしを拝んで気分も最高!
今までの疲れが一気に吹き飛びます。
こんな経験、大人だってそうそう出来てない筈ですよ。


戻ったら選別作業。使える部分と、枝葉や固くて使えない部分とに分別して、この後に塩漬けで保存されるのです。

本当は子供の頃にこうした経験を沢山積んでおくと、また違う心の成長がみられるんですけどね~。
もちろんここまでハードでガチンコな苦行でなくても良いですが、妄想やバーチャルではない自らの身体を動かして実践する実体験の積み重ねは、しかもできる事ならこうした自然の美しさと厳しさを実感できる環境での経験は、若者にとって間違いなく心の糧に繋がる有意義な経験の場になります。
『身体と心の汗をかく経験』とでも言いましょうか。
その証拠に、ハッキリ申し上げて普段グータラで腑抜けで何事にも後ろ向きな寮生までもが、こうした場面だと驚くような動きを見せるというこの現実、どう思いますか?

やれば出来るんです。
出来ない、能力が無いのではないのです。
やるかやらないかの違い、やろうとしないだけの話なんです。
責任感や危機感、羞恥心が足らないだけの話なんです。
きっかけが掴めないとも表現できます。

このウド採りの中でも、初めは崖に登る事が全くダメだった寮生も、基本やコツを教えてもらい手本を見て何度も自分でトライしていくうちに、いつの間にか出来るようになっているんです。

自分への自信も自己肯定感も、長い目でその若者の将来や人生を真剣に考えるならば、こうした経験をたくさん積み重ねて徐々に数多くの知識や臨機応変の対応方等を身に付けていく事が、間違いなく最良の手法だと私は思うのです。

かりそめや表面的な『自立』、『就労』だけを望むなら別にココまでしなくても何とかなるでしょうが、ただそんな底の浅い取り組みでどこまで本当に人が変われるのか、その『自立』や『就労』がいつまで続くのか、少し本気になって考えれば誰にでもわかる事だと思うんですけどね~。何で子供も親もその場しのぎの楽な方に逃げようとするかな~?
逃げれば逃げるだけ、その後に襲って来る苦労や恐怖は増大するのは古今東西変わらぬこの世の真理です。

豊かで便利で満たされた今のこの時代、腹を括り、覚悟を決める事が出来ない親が多過ぎです。
もっともっと辛い思いをしないと本気になれないのでしょうか。

もちろんこうした実体験の積み重ねだけで全てが解決する訳でもありません。個々の能力差や特殊事情もありますが、やはり基本は『家庭』であり、幼少期からの関わり方、『親子関係』である事は、これはもう誰が何と言おうと揺るぎようのない、また逃れようのない厳然たる事実です。大抵の親御さんは十分承知されているとは思いますが・・・。正直申し上げると、その現実に正面から向き合おうとしない親の子は、残念ながら何をどう頑張っても根本的に変わる事は難しいというのもまた事実です。

『今さらそんな昔の話をしても・・・』という現実もありますけどね・・・、
でもだからこそ、出来るだけ若く早い段階で行動する事をお勧めするのです。『早期発見・早期対応』が大原則。それに多少遅かったとしても、変えられるモノは自ら率先して変えていくべきだと思うのですよ。大人として、親として、自分に出来得る限りの努力を尽くす。その謙虚な姿勢と意識が必要なんです。傲慢な親の子は本当に本当に不幸です。

まぁウチに長く関わるような親御さんには、そこまで現実逃避全開で傲慢な方はまずいませんけどね。

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